10.

期間限定、模様に関しての担当授業

学生に途中経過なり自分の制作作業についてを説明をしてもらい、やりとりしていきます。

話は模様から脱線するようですが、模様を作るにあたって模様を使う目的があると着地しやすいかなと思います。ただ眺めるという目的でも、もちろん目的だし機能を果たしています。

学生とのやりとりに、作業の終盤に自分の作ったものへマーケティングのようなことをして説得力を出そうと「私は、〜と考える。」という個性をテーマにしていたスタートが「およそ20〜30代を対象に〜を考える」と後半に向け変わり「あれ?自分の視点はどこへ行ったの?三人称視点に変わって個から一般に変わっちゃうの?」というやりとりがありました。
どちらかといえば「性差や年齢差も超える」という言い方の三人称視点だと説得力が出るんじゃないかという内容があり、下記にまとめました。

動機から結末、始末の視点
一人称「わたし」という視点。自分に起きてる出来事や問題を、世界の人へ投げかけるような視点。エゴ的または個人化した視点。
二人称「あなた」という視点。特定の誰かを想いやるような視点。独自のコミュニティ例えば恋人へ向けられるような視点。
三人称「彼ら彼女ら」という視点。不特定多数へ向けられたマーケティングのような視点。個の意見ではなく多数に集約された意見、最大公約数を求めるような視点。


視点としては、これに集約されると思うのですが、ん?となる人もいるのかな? アカデミックによく言う「主体と客体」という二項対立で問題を考えると白と黒で分けるような作業になり、いろいろ変化する色が見えづらく伝えづらくなると感じます。そんな単純じゃないよ、と多様性的な回答へも遠くなります。

ちなみに「見るもの、知るもの(主体)」と「見られるもの、知られるもの(客体)」のこと。
授業中に「一人称視点とかってどういうこと?」と質問もらったので触れてみました。

次の回、前回からの話に戻します。